サービス残業をなくすには

日本人はとても勤勉です。

これを否定する人はあまりいないでしょう。日本人を表す言葉のひとつとして当然のように使われている感さえあります。
日本以外で勤勉な国民といえばどこを思い出しますか?例えば、ドイツ人はどうでしょう。彼らは確かに真面目で時間にも正確です。

ぼくもドイツ人と長期間に渡って仕事をしていましたが、彼らの仕事に対する集中力、顧客に対峙するときの力強さにはいつも感心していましたし、時間の正確さも日本人の感覚と遜色ないものでした。

でも違うのは、ドイツ人は(始まりだけではなく)終わりの時間にも正確で、滅多に残業しようとしませんし、ましてやサービス残業なんて信じられないという感じです。

一度その話題になったときに、「どうして?」と聞かれて説明するのにとても苦労しました。そのとき彼女が想定で言っていたのは、「休日出勤して、サービス残業しないとクビになるの?」。
単純にそうとも言い切れず、かといって説明するには、日本の終身雇用から年功序列、職能賃金制度、職務記述書の有無まで幅広く深く説明する必要があり、そのときのぼくは、それを避けてしまいました。
正直に言うと、ドイツの爽やかな夏のオープンカフェでよく冷えたドイツビールを片手に、そんなことを延々と話したくなかったのです。


だからといって、それをここで、日本語で書いても彼女に伝わる可能性は1%もなく、なんの慰めにもならないのですが、これはそのときの答えなかった答えです。

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日本の企業社会は、大企業正社員を頂点とした身分制度に支えられています。

日本の会社員がもらう給与は、じつは、稼いだ金や職務に大してではなく、その身分に対して払われているのです。
そんなことはない、売上によって人事評価が変わって、給与・ボーナスに反映されるぞ、という反論はあるでしょうが、日本企業でやっているそれは所詮お遊びの範囲です。

その証拠に、大企業内では異なる職務間で人事異動が日常的に行われ、営業担当から広報担当、あるいは商品開発担当からカスタマサポート担当に移ったところで、Job Descriptionを書き換えることもなければ、給与を職務にあわせて再交渉することもありません。
これってよく考えるとすごく不思議なことです。

派遣・契約社員が、正社員と同じような仕事をさせられているのに給与が半分みたいな話も理由はこれですね。

こんな社会では、どう考えても大企業正社員になったほうがお得ですよね?(少なくとも一見は)
今の学生は草食系だ、大手志向だ、保守的だとか、中年肉食系の人たちが嘆いていますが、ぼくが思うに、彼らは保守的なのではなく、単に合理的なんだと思います。だって同じ仕事して、給料も高くて、クビも切られず、福利厚生もバッチリなA社と、給料低くて、いつクビになるか分からず、福利厚生なしのB社があったら誰でもA社を選ぶと思います。

そして、なんとか上級身分に潜り込めたら、何がなんでも働き続けることが大事です。
顧客の課題分析を基にしたソリューション提案で満足度を高めて継続的な利益を上げたり、革新的なアイデアイノベーションを生み出すことも少しだけ大事ですが、本当に大事なのは、上司や同僚に嫌われず、人と違うことはせず、木偶の坊と言われても反論せず、会議で議論をはじめる人があればつまらないからやめろといい、丈夫な体をもち、欲はなく、決して怒らずいつも静かに笑って、勤め上げることです。
なにしろ違うこと、新しいことを始めて嫌われたりしたら大変ですから。流動性のない日本では、社内の多くの人が何十年も同じ環境で働きます。

明確に命令されなくても上司に「分かってるよな?」と言われたら、18時にタイムカードを押して23時まで働かないと居場所がなくなってしまうと感じる人がたくさんいるのです。

(大企業では)簡単にクビにはなりませんが、一生そこにしがみつかなければ身分制度から転げ落ちてしまうという、密室の息苦しさがあり、その1つの表象がサービス残業なのです。それが一見オトクな安定した身分、待遇と引換に差し出しているものだということにはなかなか気づきません。

職務をベースとして労働市場が流動化した世界では、こうはなりません。サービス残業させられたら、転職してサヨウナラです。その世界は身分制度ではないので、転職しても基本的には同じ職務を担当するのであれば同じ賃金が当たり前で、「身分が変わると同じことしても給与が半分」にはならないのです。

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今の日本では、上位身分の枠が段々と減っている上に、その待遇も悪くなってきていますし、いつ一気に崩壊するかも分からないので、最初から身分制度の枠外で生きて行くのもいいかもしれないですね。


ところで今日の個人的な収穫は、やっぱり、ドイツの爽やかな夏のオープンカフェでよく冷えたドイツビールを片手に、こんな話しなくてよかったなと再確認できたことですかね。

やれやれ。