子育て女性の意見は反映されにくい

子どものいる女性の意見は政治に反映されにくいのではないかというお話。

政治でも経済界でも、世の中で活躍している女性をみていると独身か、結婚していても子どもがいない人がかなりの部分を占めているように思えます。実際には世の中には子どものいる女性がかなりの割合でいるにも関わらずです。

考えてみれば当然のことかもしれません。
特に小さい子どもを抱えた女性は(本来は男性も、だけど、現状では一般的に女性の負担が大きい)、それこそ目の回るような忙しさです。

朝6時半に起きて2人分の弁当を作りながら、朝ごはんを用意して、子どもの着る服を出して子どもが時間までに食べ終わるように促し、時にはサポートし、着替えさせトイレに行かせてとやっている合間に1番下の乳児にミルクをあげゲップをださせて着替えさせて、忘れ物のないように荷物を準備して8時20分に家を出て幼稚園まで子どもたちを送っていく。帰りがけに買い物、帰ってから掃除、洗濯、赤子を寝かしつけ、寝てる間に夕食の支度をしながら自分の昼食をかきこんでいると赤ちゃんが起きて、オムツを替えてミルクを作って、あげて、としてる間にお迎えの時間がきて。という具合です。これにプラスして、細々とした用事、つまり郵便物の受け取りや、ちょっと遠出する買い物、子どもの予防接種、近所のつきあい、幼稚園の下見やらいろんなことがあるわけです。

とてもじゃないけど、政治に参加することなんかできなさそうですし、政治に関心を持ち続けて情報を追いかけることすら難しそうですね。結果的に社会への発言力が弱くなる。

発言力がないとどうなるかというと、当選しないとただの人、である政治家からみて政策のプライオリティが下がってしまいますし、マスコミとしても発言力がないグループは叩きやすい。
子育て世代への支援となるはずの子ども手当ても、いったんスケープゴートになると、マスコミも政治家もそろって簡単に叩き潰してしまいます。マスコミはある時点で、これは叩いても大丈夫、むしろ叩くと喝采する層がかなり多い、ということに気がついたんでしょうね。
実際には、聞かれると「なくなると困ります・・・」と答える人もいるし、内心そう思っている人はもっとたくさんいても世間全体の大きな流れにはなりえない。

時間がなくてもネットでの参加なら、という話もありますが、ここでもやはり他の世代、独身者に比べると時間をかけられないので、ネット上ですら存在感は薄くなりがち。

一方で、選挙に行く人も多く、発言力が強い人がたくさんいる老人世代の年金支給を削減しようという話にはいっこうにならない。
復興財源だって、いつの間にか、復興国債増税の2択みたいになっている。


どうすればいい?

まずは絶対に選挙に行きましょう。
数万票のなかの1票しか持っていないことで、どうしても無力感を感じてしまい、嫌がる子どもを引き連れて行くのが面倒になるのも分かります。
が、あなたが誰に投票したかは結果的に意味がないかもしれませんが、あなたが投票することで、例えば「30代女性の投票率が上がる」だけで、政治家が考える政策のターゲットに影響を与えられることは間違いありません。選挙の結果ではなく、投票することに意義ありです。

社会が、女性の社会進出をもっとサポート
もう1つは、子育て中であってももっと社会で活躍できる社会にすること。
上に書いたhecticな生活も、もう少し、プロフェッショナルの育児・家事サポートが普及していれば緩和されるはず。
欧米(アジアでもシンガポールや中国沿岸部)では、お手伝いさんやベビーシッターがかなり一般的で、子どもを生んで数ヶ月ですぐにまた働き始める女性が多いです。
ぼくの友人女性は、旦那の国をまたいだ2−3年ごとの転勤について行きながら、その間に子どもを3人生み、それぞれの地でプロフェッショナルとして仕事を続けて海外出張までこなしています。それを可能にしているのは住み込みのお手伝いさんの存在です。こういったことが社会的に認められているし、お金の面でも優遇措置があります。

日本でこれを進めるために具体的に必要なのは、移民政策や、育児・家事サポート費用への税制措置などですね。移民受け入れにいろいろネガティブな側面があり、反対が多いのは分かりますが、人口政策的にも日本はもう選択の余地がないように思うのですが。

これらが揃えば、子どもがいる女性の発言権も強まり、より子育てのしやすい社会になり、ますます女性も活躍できるようになり、移民政策とあわせて多様性があり強い国になるのではないでしょうか。

「そんな移民沢山の危険な社会になるくらいなら衰退したほうがいい」という意見も時々聞かれますが、本当に衰退してしまった社会というのは簡単に想像するほど、安全で気楽で牧歌的なものではないと思います。
そんな世の中で日本人の犯罪率がいまと変わらないと思いますか?
中国のアパートの清掃人をするために家族みんなで中国に渡って働くことが想像できますか?
#例えばフランスのアパート清掃人には、かなりの割合でポルトガル人がいます。

子育て世代女性の話で書き始めたのですが、最終的には、
安全で快適な社会のためには経済発展は必要で、そのためには様々な意見が政治に反映される、多様性のある社会をつくることが大切だという話になりました。

ユーロディズニーに行ってきた 2

前回の記事で書ききれなかった瑣末な事柄をつらつらと書いてみます。

客層、そのテンション

圧倒的に子供連れの家族が多い。恐らく90%以上が子供連れ家族。それも3〜6歳といった子どもが大多数といった印象。
親はあくまでも付き添いなので、日本の大人たちに比べるとそれほどテンションは高くない。もちろん楽しんではいるけど、それは付き添い者としてであって、ディズニーの世界にどっぷりと浸かって楽しんでいる親はあまり見なかったような。
以前行った東京ディズニーランドのパレード、子どもを連れた母親、ミッキーたちが来るまでは、◯◯ちゃんもうすぐよー、とか子どもに声かけたりして穏やかな感じだったのに、パレードが近づいたら豹変してキャーッと金切り声上げて手を振りまくって子ども眼中になしみたいな光景に出会ったことがあるのですが、ユーロディズニーでそれはなさそう。


アトラクション、レストランなどの混み具合

平日ということでアトラクションもまあまあ空いていました。スペースマウンテンが5分待ち!
でもビッグサンダーマウンテンは40分待ち表示でした。
#この掲示板よくみると、右下のレストラン2つともCLOSED!脱力ですねー。

ベンチで家から持ってきたサンドイッチ食べている人多数。欧州人はどこにでもこれを持ってくる。特にオランダ人とかどこいってもアルミホイルからサンドイッチ出してほおばって、その後ポテチ食べてるね。前にモンサンミッシェル(海の中の城みたいなやつね)に行ったときもまったく同じ光景をよく見た。デジャヴュ。
実際には禁止されているかどうか分からない。ピクニックは禁止と書いてあったけど。確かTDLでは食べ物持ち込み禁止だよね?

余談;オランダ人は観光地にもお金を落とさないと言われていて、バカンスで南仏に行くときにも、無料のアウトバーン(ドイツ)で南下して、南仏についたら乗ってきたキャンピングカーに寝泊りし、持ってきたサンドイッチとかニシン食べて、日焼けしてすごしているみたいなステレオタイプイメージがあるらしい。

おかげでレストランとかカフェテリアとか空いていてうれしい。いざ休憩したい時に並ぶことなく入れるのはいい。

お土産やさんもこの通り。11時半ごろかな。夕方はもちろんもっといました。


夢の国度
これが日本とは一番違うかも。ヨーロッパ的というか・・・。いくつか挙げてみると、

・7人の小人、休憩している。芝生に寝転がり頭脱いじゃってるし。。。えー。一応あまり目に付かない隅のほうではありますが、、、それでもねぇ。。

・掃除の人、疲れたのか、何もせずだるそうに客をにらみつけている(実際には宙をみている感じ)。次通りかかったときは3人集まっておしゃべりしてた。

・キャストもTDLほどテンション高くない。もちろん対応悪くないし、ふつうに愛想いいと思うけどあくまでも普通の人のテンション。ヨーロッパ人にあのテンションで働けというのは厳しいよね。アメリカはどうなんだろ、ヨーロッパよりは高いと予想。

・工事中のアトラクションが隠されていない。工事中のネットがむき出し・・・

・途中何かの整備のためか、クレーンがシンデレラ城にかかって人が作業していた。普通に営業時間中。たしかに開園前とか開園後の時間に働きたくないもんね。。。コストも上がるしね・・・


その他

・パレードが始まる前に沿道でみんなが待っている間、たまらず道に出てきて踊りだす子どもたち。最初1人出てくると、続々とでてきて踊る踊る(笑) (写真ではうまくとれてないけど)

・パレードは客参加型。ときどきパレードが停まって、沿道の子供たちが出てきて一緒に踊る。日本でもそう?


・It's a small worldとか、なんちゃらTrainとかで、1周乗ってきた人がもう1周とごねる姿を頻繁にみかけた。
後ろに並んでる人がいる状況でその主張って本気?という感じで見ていたのだが、その後よく見ていると、どういうわけかこの主張が通ってそのままもう1周乗って行く人も度々いた。It's a small worldに本当に2回続けて乗りたいの??というそもそも論は置いとくが、こんな光景、日本でもみられるのだろうか?


たかが遊園地なのだけど、見ているとその位置づけとか文化の違いとかいろいろ見えて興味深いものでした。

持っているチケットでもう1回入れるそうなので、また観察に行ってみようかな。

ユーロディズニーに行ってきた 日仏比較論?

先日ユーロディズニーに行ってきた。
もちろん目的は子どもを楽しませるためであり、所期の目的は十分に達成したわけだが、その目的以外にも興味深い発見、いや発見というほどではないがいろいろと気づきがあったので、所見のようなものとしてそれを書き留めておきたいと思った次第。


パリから南東に40km程度

フランスではありふれた景色、つまり見渡す限りの畑に囲まれた道を車で走っていると、遠くに三つ葉のクローバの書き損ないのようなもの、あるいはデフォルメされた小動物の耳と頭部らしきものが見えてくる。それはまさに畑の真ん中に突然現れるといった風情。その点でまず千葉・浦安の埋立地とはいえ町ともそれなりに近接する東京ディズニーランド(以下、TDLと書いたりもする)とは少し趣を異にする。

TDLにはじめて行ったのは13才だったかなぁ」「へー、ぼくは25才くらいだったな」「誰と???私と23才から付き合ってたのにね」「あっ、間違えた。たしか22歳だった・・・」みたいな下らない会話を子どもの前でかわしつつ、駐車場に着いたのは11時ごろであったろうか。

まったく列もなく、駐車場入り口へ進むと、おじさんと、こんにちは、15ユーロね、よい1日をー、というやりとり。そこには夢の国の入り口という気負いは感じられず、でも高速道路料金所のおじさんよりは幾分かテンション高めだということを人によっては察することができるといった程度。

駐車場はまだガラガラ。TDLの11時はどうなのでしょう。いかんせんあまり行ったことがなく比較できない。

入場券のところでインターネットで購入したプリントアウトを差し出すと、フランス人のお姉さんが「えーっと、フランス語と英語どっち?」とフランス語で聞いてくる。「じゃあまぁフランス語で」と妻、「この紙はあっちの窓口でチケットに換えてきてください」というようなことを言うので、チケット窓口へ。
チケット窓口のお姉さんは何も聞かず最初から最後までフランス語であったが、もっと呆けた顔をすれば英語に切り替えてくれるのかもしれない。いずれにせよ今日は19時までとか、このチケットで1週間後以降にもう1回入場できるとか言っていたようなのであまり注意深く聞かずチケット受け取り。

このように言語コミュニケーションについては一応フランス語と英語対応なのだが、ここはフランスなのでやはり仏語優勢。場内アナウンスや看板は英仏併記といった具合。実際客はフランス人と非フランス人が半々といった印象。英語圏以外では、北欧、ドイツ、オランダあたりが多そうなので、英語で言っておけば問題ないのだろう。


さてアトラクションへ

子どもの要請によりまずはダンボ乗り場へ。耳の大きいかわいらしい象が飛ぶというあれである。
ここで30分ほど待ち、結果的には今回のった6つのアトラクションのなかで最大の待ち時間であったのだが、ここでもやはりフランスらしい光景が。
20台程度のダンボ機があるので、並んでいる順に前から20組が通されるのであり、当然ゲート横のスタッフが数えて通す人数を調整している。で見ているとある親子が通されて、どの色ののダンボがいいとかいろいろあってぐるっと一周回って気がつくとすべてのダンボが埋まっていた。それをみたスタッフ「早く乗らないといっぱいになっちゃうんだよー。じゃあ次ねー」。あなた数えてたんじゃないのか!?
もちろんこんなことを気にしていたら欧州では生きていけないのでみんな気にしないのだが、TDLで同じことは起こらないのではなかろうか、よしんば起こったとしてもスタッフ(キャスト?)が言うセリフはもうちょっと違うものなのでは、と思った次第。
よく見ていると、逆にゲートを閉めてみんながダンボに座った後に、キャストがまだ空いているダンボをみつけると「あと2組来てー」というのを頻繁に、というか毎回やっているようで笑える。結局のところ数えているようにみせて数えてないというのが正解なのかもしれない。


価格の不思議

その他いくつか、カルーセルや宇宙船みたいなのやIt's a small worldなどのアトラクションを楽しんだところで疲れてカフェテリアへ。空いている。テーブルも空いているし、レジもまったく並んでなくて楽。TDLではこういうところも混んでいたような。
また驚いたのはその価格、おやつ休憩という感じだったので、ドーナツ、パン、クッキーとカフェ2つを買って総額7.2ユーロ。明らかにパリの市中価格よりもかなり安い、恐らく半額よりもずっと。こういうところって物価高めなのが普通なのにどうして??不思議。

欧州では値付けのされ方ががよく分からないことがままある。
ここでは安くていいんじゃないってところで高かったり、ここでは高くても売れるよねーというところで意外と安かったり。価格は需要と供給の関係で決まるという需給曲線グラフを持ち出すまでもなく、同じ商品でも場所や時期で値段が変わるのはリーズナブルだと思うし、日本ではこの市場による価格決定メカニズムがあまり働いていない気がするのだが、それは恐らく日本人がそれを嫌っているからであろうと思うのだけど(電力不足を価格メカニズムで回避、というアイデアも日本では嫌われるね。曰く、貧乏人は使うなってことか、と)、欧米ではその辺とても柔軟に動いていると感じる。たとえば電車や飛行機の予約サイトみてると空席状況に応じて刻一刻と値段が変わるし、繁忙期のホテルの値段は4倍になるといった具合。

話はそれたが、値付けに関して柔軟だというのはその通りだけど、ヨーロッパでは(フランスでは?)逆に理解出来ない値付けも頻繁に見られる。50m離れただけの2つの店で、同じ水の値段が2倍以上違ったり、1ブロック先の薬局でコンタクト保存液が40%以上高かったり。特売とかじゃなくて毎日売っている通常の値段がね。
たぶんそこまで真剣に考えて値付けしてない店が多いというだけの理由だと推測しているがどうなのだろう、考えた事のある人がいたら教えてほしい。


話を戻して、カフェの後、トイレに行ったり、船に乗ったり、子どもが寝たり、パレードを見たりして17時半頃帰路に着く。思ったより長居してしまったが、帰りも幸い渋滞はなくミッキーの顔のついたぺろぺろキャンディー、そう渦巻き模様のDr.スランプアラレちゃんに出てくるけど日常ではめったに見ないあれ、を舐めながらまだ明るいヨーロッパの夏空の下を北西へと走ったのだった。

他にも気づいたポイントがたくさんあったので、ただここで書き連ねると冗長になり過ぎるので、また次回改めてメモとして書くことにした。

ではまた。

節電のために土日勤務っていいの

今年の夏に予想される電力不足を回避するために家庭、企業に節電が呼びかけられている。
それをうけて各企業がいろいろな対策を打ち出しています。

なかでも気になったのは、NTTドコモマツダが発表したように、土日を勤務として、その代わりに平日の2日を休みとするという策です。

たしかに電力不足で問題なのは、ピーク時なので、平日の昼間というピークを避けるために平日を休みにするというのは節電の観点からは間違ってないのでしょう。

子どもは誰がみる?

日頃から日本社会はいろんな点でいまだに昭和的家庭像に基づいた動きが多いなぁと思っていましたが、今回もその典型ではないでしょうか。
子どもをもつ母親も父親も働いているのが普通という前提だったらこんな対策絶対出てこないと思いますけど、どういう発想なんでしょうか?

保育園を土日も空けるように役所に呼びかけるとか、企業の保育所もシフトに対応するとか少しは動きがあるようですが、まあ全部は難しいでしょう。土日が休みの会社もいっぱいあるわけで、ぎりぎりの人数でまわしている保育園がこれ以上開ける日を増やすんだったら付け焼刃ではいかないでしょう。人員の確保、予算の手当て等が必要です。
それに小学校は?中学校は?やっぱり土日休みですよね。

そもそもそれらを考慮、調整してから企業が土日勤務案を発表しているようには見えない。

土日に小学生を誰が見てくれるんでしょうか?みてくれるところが見つかったところで、家族団らんの週末は過ごせないんですよね?それを節電の美名の下に奪うのはあまりにも横暴ではないでしょうか。
数日間とかなら分かりますけど、3ヶ月とかでしょ。ありえないなー。

マスコミもそういう論調で叩いてるものとかあるんでしょうか。WEBで見る限りあまりなかったような。マスコミの人とか、奥さん専業主婦で昭和的家庭が多いので気づかないのかな。

日本はこういうときまわりの空気を読んで、みんなが大変なときだから、と声を出さず、同調圧力が働きやすいですね。すぐ全体主義になってしまう。よく言えば危機に際して協力的、なのかもしれませんが、本当はこれは非常に怖いことだと思います。

在宅勤務はほんとに節電に役立つの?

節電のために在宅勤務を広く適用していくという話もあります。
在宅勤務自体は、働き方の多様性を高め、過重労働を防ぎ、通勤地獄を緩和するという意味では大賛成で、普段からもっと普及すべきだと思っていました。

でも節電対策としてはどうなんでしょう?1000人のオフィスを閉めた場合に、1000人が自宅でエアコンとか電気つけて働いてもホントに目標%の節電ができるんでしょうか? オフィスとしては、20%節電できたのでOK!というつもりですかね。
一応試算して欲しいですよね、在宅勤務で増えた家庭の電力消費量を考慮しても10%節電達成!とか、その分足してみると5%増加でした、とか。。

まあこれをきっかけに在宅勤務が市民権を得るのであれば変化のきっかけとしていいですけど。
逆にこんなことでもないと日本は変化できないのね、という気持ちにもなりますね。。。

今年の夏、猛暑にならないことを祈ります。

客としてゆるくなれば仕事が楽になる?

西洋人の生産性はどうして高いのか? の補足記事です。

この前の記事の最後の文=
「労働者としてこれ以上一生懸命働くよりも、みんながもっと客として寛容になれば、日本の生産性は上がるんじゃないかな?」

どういうことかというと、

西洋人(日本人以外、と読み替えてもほぼ成り立つ?)は、労働者としてガリガリ働く代わりに、消費者として少し寛容で、またそれなりに努力します。

逆に日本人は、消費者としては不寛容であまり努力せず、それを労働者に転嫁しています。とはいえ、ほとんどの人が消費者であると同時に労働者でもあるので、結果として転嫁された労働量は自分がガリガリ働くことによって補っているんです。


例えば、
ヨーロッパの多くの国では、宅配の時間指定ができません。できても午前、午後とか。また午前と指定しても午後2時にまったく悪びれることなく持ってくる。なので宅配が来ると思われる日はひたすら家で待つという努力を強いられます。待っても一日来なかったとかよくある。日本なら細かい指定時間通りに来るし、もし不在票が入っていても連絡すればすぐに持ってきたりします。消費者としてほとんど努力が必要ない。

他にも、お店で何か買ったときには、袋の中にちゃんと買ったものが全部入っているか、壊れていないかを買った直後にみんなチェックします。そう、入っていないことや壊れていることが頻繁にあるので、自分でチェックしないと損するのです。
かたや日本では、そういったことはサービス提供側が責任をもってやることが当然なので、消費者側はそれほど気を使いません。もし間違っていたら苦情を言えばいいし、運がよければおまけがもらえるかもしれないし、そもそも滅多にありません。


このように海外では消費者側がそれなりに努力してサービスを受けている気がします。その代わり、労働者(何度も言いますが結局は同じ人)としてはのんびり働く。日本ではそれはすべて労働者側がカバー。

あるサービスがトータル100で成り立っているとしたら、

日本; 提供側の努力95+消費者側の努力5=100
海外; 提供側の努力50+消費者側の努力50=100


というイメージです。



立場によって人格が変わる?

日本人は立場によってまるで違う人格のように振る舞いますよね。役を演じるというのか。
客である太郎、労働者である太郎、父である太郎とそれぞれでまるで違う人格のように。
外国人では比較的それは一致していることが多いように思います。ジョンはどこにいっても、買い物をしていても、働いていても同じ人間ジョンだ、みたいな。
そう考えると、お店で、店員だけが「いらっしゃいませ」「ありがとうございます」といって、客側は何も言わないっていうのはとても不自然ですよね。
極端な例だと、お客様の前ではとても腰が低く丁寧な営業マンが、電車の遅延トラブルがあったときに駅員(という立場の人)に対しては王様のように振舞うとか。

#ちなみに、駅員に怒鳴る人って、日本では時々みかけましたが、海外では見たことない光景です。

日本人は役割、立場によって人格が変わることを(無意識的に?)受け入れているし、そっちのほうが心地もいいんでしょうね。

これはどっちがいいということではないのですが、個人的に日本はもう少しゆるい社会になってもいいかと思っているので、労働者として楽になりたいんだったら、まずは客として寛容になり努力することからはじめてもいいのでは?

結局は自分に返ってくるのだから。

西洋の生産性はどうして高いのか?

前に日本人の生産性が低い理由を書きましたが、今回は逆になぜ西洋諸国の生産性が高いのかについて。
一応、前にも貼った記事のコピーを。

1. 日本の労働生産性(2008年)は先進7カ国で最下位、OECD加盟30カ国中第20位。

 2008年の日本の労働生産性(就業者1人当たり名目付加価値)は、68,219ドル(795万円/購買力平価換算)でOECD加盟30カ国中第20位、先進7カ国では最下位(図1)、2007年の66,960ドルより1,259ドル(1.9%)向上したが、順位は変わっていない。第1位はルクセンブルク(116,627ドル/1,359万円)、第2位はノルウェー(110,347ドル/1,286万円)。米国の労働生産性を100とすると日本は69。

http://activity.jpc-net.jp/detail/01.data/activity000952.html


もちろん前に書いた理由をひっくり返せば1つの理由にはなるのですが、それでは3行で終わってしまって面白く無いので別の点を。

これ書くと、前回書いていたのとあわないじゃないか、と指摘されそうですが、ものにはいろいろな側面があるということで。


同一価格で受けられるサービスレベルが違う?

はっきり言って日本と欧米では全然違います。

「お客様は神様」というのは、おそらく日本独特の言葉でしょう。
西欧の国では、買い物をしたときどちらかというと客のほうが品物を受け取るときに「ありがとう」と言いいます。(日本だと店員の方が「ありがとうございます」といって、客は無視みたいな光景もあたりまえですが、海外でこれはけっこう失礼にあたるようです)

で、その意識は当然サービス、製品にもあらわれてきます。

日本では、店側に少し落ち度があった場合、いや落ち度がなくても、お客様が不満足だった場合、それが決して契約で保証されたサービス内容ではなくても、店のほうが当然のようにそれをカバーしてお客様に迷惑をかけないようにします。
客側もそれを慣習的に当然だと思っているので、そういうサービスを求めがちです。

海外ではそういうことはありません。

西洋は契約社会と言われますが、契約書に書かれていないこと、仕様書に明示されていないことはサービス提供側はやらないというのが普通です。
契約社会というと、サービス提供側がきつそうなイメージがありませんか?
ぼくもそう思ってました。契約で明文化されて縛られるなんて、欧米で商売するのは厳しそうだなぁと。
でも実は逆で、日本みたいに曖昧な取引社会のほうが、何かあったときに無制限に責任を押し付けられて、5千万円で受託したシステム開発が最終的に2億円コストがかかったみたいなことが起こってしまうのです。欧米だとそれは仕様書に書かれていないということで客側がなんとかしないといけません。

日本は契約書でガチガチに決めない代わりに、声の大きい客に押されて提供側が無限責任を負わされることが多いんですね。

#余談ですが、原発事故処理でも同じような話を聞きますし、日本人はやはりそっちのほうが好きなんでしょうね。事前にきちっと決めるよりも、曖昧にしておいて事が起こってから社会的(感情的?)に責任範囲を決めるみたいな。


日常の郵便、宅配でも信頼性は日本のそれに比べると格段に落ちます。
たとえばフランスでは、届かないということも頻繁ですし、家にいたのに(おそらく持って上がるのが面倒だという理由で)呼び鈴を鳴らさずいきなり不在票だけをポストに入れていったりという話はもはや日常。それでも不在票があればまだいいほうで、大体荷物を送った人が連絡をくれて、そろそろおかしいな、という時期に自ら郵便局にとりにいったらやっぱり置いてあって、送り返される寸前だったということもよくあります。

ギリシャでのバカンスで島から島へと渡るフェリーに乗ったとき。指定席の予約していたのにダブルブッキングで席がなく、5時間もの船旅だったので、予約してたんですけど、と冷静に言ったつもりが、スタッフの女性が逆切れ。ないものはない!と激怒されて仕方なく共有席で過ごす羽目になったり。

まあ挙げればキリがありませんが、とにかく同じ値段を払っても受けられるサービスレベルがぜんぜん違うのです。
働いた経験のあるひとなら誰でもわかると思いますが、サービスレベル90%と99%ではそれを達成するための労力は、2倍以上違いますよね?

つまり同じ100円のサービス、製品を提供するにもそれを99%のレベルで出さないといけない日本ではそれだけ労力がかかるのです。

簡単に言うとこんなかんじでしょうか?

海外; 100円 = サービス量100(レベル90) =労力100
日本; 100円 = サービス量100(レベル99) =労力200

あるいは生産性の話を分かりやすくするために労力を基準にすると

海外; 労力100 = サービス量100(レベル90) = 100円
日本; 労力100 = サービス量50(レベル99) = 50円

いくらサービスレベルが違っても100円で売れれば同じ経済価値、50円で売れれば半分の経済価値です。
前にも書いたとおり、生産性は単位時間あたりで生み出される「経済価値」で図られるので、上の計算式では日本の生産性が半分になってしまいますね。

というわけで、労働者としてこれ以上一生懸命働くよりも、みんながもっと客として寛容になれば、日本の生産性は上がるんじゃないかな?

日本人の英語 世界のなかでのレベルとコンプレックスとその理由

ここ数年、日本で英語への関心が急速に高まっている。

情報ポータルサイトでもいつも英語に関する記事がアクセスランク上位にきているし、ユニクロ楽天が社内公用語化を発表したときの喧騒は記憶に新しい。
この関心の高さは、日本人の英語に対するコンプレックスと、急速に縮んでいく国内市場のせいで高まる企業の海外志向が明らかになってきたことが合わさっての現象でしょう。

企業の海外志向のほうの話は今日はおいとして(これはこれで興味深いけど)、日本人の英語コンプレックスあるいは苦手だという事実そのものについて書いてみる。


日本人は本当に英語が苦手?

日本人が、個人によりバラツキがあるのは当然だとして、全体的に見ると英語が苦手だというのは事実で、これは現状としては認めざるを得ないでしょう。

5年ほど前、ある中東の国で、ある女性と話したとき
「あなたは韓国人なの?」
「いや、日本人だけど」
「へぇー、英語喋るから韓国人だと思った。だって日本人ってほとんど英語しゃべらないでしょう、今までここに来た日本人も云々・・・」


このときぼくは軽いショックを受けました。
そんなに愛国心が強いつもりはなかったので意外ですが、外国でこう言われるとやはり日本人として少なからずショックを感じるようです。とても瞳が大きく髪の長い若くて美しいアラブの女性に、アクセントのないきれいなアメリカ帰りの英語で言われるとなおさらです。

でもその後よくよく見てみると、どうやら多くの人がこのような印象を持っているようなのです。
印象だけではなく、実際に日本に行ったときに如何に英語が通じなかったかを楽しそうに話す外国人は多い。もちろん英語ネイティブの人だけではなく、フランス人もエジプト人もメキシコ人も。


英語が苦手な理由

でもいったい何が理由なのでしょう。

大きく言うと以下の3つだと思います

                    • -

1.言語、音の近接性
日本語と印欧言語の言語としての遠さがまず1番の理由でしょう。
フランス語やドイツ語の文章を翻訳サイトで英語にしてみてください。ほとんど間違いのないきれいな英語になります。そう、彼らは基本的には単語を置き換えていけば英語を話せるのです。もちろん細かい語法や、語順、時制の考え方などは異なりますが、その距離は非常に近く、英語−ドイツ語の距離が自分といとこくらいの関係だとしたら、英語−日本語は継母の連れ子の友だちくらい離れています。

また音の問題もあります。日本語には音が少ないため、英語に含まれる音の多くが聞き取れないか、区別がつきません。また日本語では子音は必ず母音を伴うので、子音だけの発音や、子音が続く発音が聞き取れません。これは学習上大きなハンデです。

2.日本人の意識
日本は、歴史上ほとんど国境が変わらない国土の中に、1つの民族が1つの言語をつかって1つの国家を形成している稀有な国です。
日常的に外国人と触れる機会も少ないうえに、ビジネス上でも今までは成長する1億人以上の市場を国内に抱えていて、外を見る必要がありませんでした。

ヨーロッパでこどものおもちゃを買うと8ヶ国語くらいで説明が書いてあるのは珍しくありません。(説明書が8冊ついているのではなく、8言語並記)。1つ1つの市場が大きくないので、わざわざ違う仕様で国内専用のおもちゃを作ったり、取り扱い説明書を作るとペイしないという単純な理由です。こんな環境で育つと、日本人とは外国語に対する意識が違ってきそうですよね?

3.教育
これはよく言われていることですが、2.日本人の意識、に大きく関係しているのでしょう。日常のツールではなく、「語学」として勉強するもの、という意識が強いので、コミュニケーションの訓練ではなく、「勉強」になってしまう。外国語を話すためにほんとうに必要なのは訓練、あるいは慣れです。

ただ勘違いしてほしくないのは、中学、高校でやる文法くらいはとても大事だということです。ここで成績のよかった人は、将来コミュニケーションの訓練をしたときに飛躍的に伸びて、きれいな英語を話せるようになります。逆にここを押さえずに、コミュニケーションの訓練だけをやってしまった人は、ペラペラと話すけれども、文法も語彙もメチャクチャで通じてはいるけどまず教養のある対等な人として相手はみてくれないし、それなりの話題しかされなくなります。
実際海外で働いていても驚くような英語を話したり書いたりする人はたくさんいます。

                    • -

実はそれぞれの理由をもっと詳しく書き始めたのですが、あまりにも長くなり過ぎることに気がついたので、また別の機会に書くことにしてとりあえず要点だけ書きました。
気が向いたときにまた書きます。ほんとうは理由だけじゃなくて、どうすればいいの?についても。


英語はたかがツール

仕事において英語はたかがツールです。
仕事においてほんとうに大事なのは、顧客にとっての付加価値を生み出すことでお金を払ってもらうこと、自分の給与を稼ぐことです。その他のことは、それを実現するためのツールに過ぎません。
英語も、営業スマイルも、ファイナンシャルリテラシーも、ITスキルもすべてツールなのです。

されどツールなので、今パソコン(メールやエクセル)が使えない人に仕事を任せられないように、今後は英語ができない人には仕事を任されなくなってしまうのでしょうね。
残念なことですが。市場が縮小するというのはそういうことなのです。


鋭い人は気がついたと思いますが、実は、1つ有効な解決方法が。そう、子どもをたくさん作って少子化を解消すればいいのです。

ではまた。