西洋の生産性はどうして高いのか?

前に日本人の生産性が低い理由を書きましたが、今回は逆になぜ西洋諸国の生産性が高いのかについて。
一応、前にも貼った記事のコピーを。

1. 日本の労働生産性(2008年)は先進7カ国で最下位、OECD加盟30カ国中第20位。

 2008年の日本の労働生産性(就業者1人当たり名目付加価値)は、68,219ドル(795万円/購買力平価換算)でOECD加盟30カ国中第20位、先進7カ国では最下位(図1)、2007年の66,960ドルより1,259ドル(1.9%)向上したが、順位は変わっていない。第1位はルクセンブルク(116,627ドル/1,359万円)、第2位はノルウェー(110,347ドル/1,286万円)。米国の労働生産性を100とすると日本は69。

http://activity.jpc-net.jp/detail/01.data/activity000952.html


もちろん前に書いた理由をひっくり返せば1つの理由にはなるのですが、それでは3行で終わってしまって面白く無いので別の点を。

これ書くと、前回書いていたのとあわないじゃないか、と指摘されそうですが、ものにはいろいろな側面があるということで。


同一価格で受けられるサービスレベルが違う?

はっきり言って日本と欧米では全然違います。

「お客様は神様」というのは、おそらく日本独特の言葉でしょう。
西欧の国では、買い物をしたときどちらかというと客のほうが品物を受け取るときに「ありがとう」と言いいます。(日本だと店員の方が「ありがとうございます」といって、客は無視みたいな光景もあたりまえですが、海外でこれはけっこう失礼にあたるようです)

で、その意識は当然サービス、製品にもあらわれてきます。

日本では、店側に少し落ち度があった場合、いや落ち度がなくても、お客様が不満足だった場合、それが決して契約で保証されたサービス内容ではなくても、店のほうが当然のようにそれをカバーしてお客様に迷惑をかけないようにします。
客側もそれを慣習的に当然だと思っているので、そういうサービスを求めがちです。

海外ではそういうことはありません。

西洋は契約社会と言われますが、契約書に書かれていないこと、仕様書に明示されていないことはサービス提供側はやらないというのが普通です。
契約社会というと、サービス提供側がきつそうなイメージがありませんか?
ぼくもそう思ってました。契約で明文化されて縛られるなんて、欧米で商売するのは厳しそうだなぁと。
でも実は逆で、日本みたいに曖昧な取引社会のほうが、何かあったときに無制限に責任を押し付けられて、5千万円で受託したシステム開発が最終的に2億円コストがかかったみたいなことが起こってしまうのです。欧米だとそれは仕様書に書かれていないということで客側がなんとかしないといけません。

日本は契約書でガチガチに決めない代わりに、声の大きい客に押されて提供側が無限責任を負わされることが多いんですね。

#余談ですが、原発事故処理でも同じような話を聞きますし、日本人はやはりそっちのほうが好きなんでしょうね。事前にきちっと決めるよりも、曖昧にしておいて事が起こってから社会的(感情的?)に責任範囲を決めるみたいな。


日常の郵便、宅配でも信頼性は日本のそれに比べると格段に落ちます。
たとえばフランスでは、届かないということも頻繁ですし、家にいたのに(おそらく持って上がるのが面倒だという理由で)呼び鈴を鳴らさずいきなり不在票だけをポストに入れていったりという話はもはや日常。それでも不在票があればまだいいほうで、大体荷物を送った人が連絡をくれて、そろそろおかしいな、という時期に自ら郵便局にとりにいったらやっぱり置いてあって、送り返される寸前だったということもよくあります。

ギリシャでのバカンスで島から島へと渡るフェリーに乗ったとき。指定席の予約していたのにダブルブッキングで席がなく、5時間もの船旅だったので、予約してたんですけど、と冷静に言ったつもりが、スタッフの女性が逆切れ。ないものはない!と激怒されて仕方なく共有席で過ごす羽目になったり。

まあ挙げればキリがありませんが、とにかく同じ値段を払っても受けられるサービスレベルがぜんぜん違うのです。
働いた経験のあるひとなら誰でもわかると思いますが、サービスレベル90%と99%ではそれを達成するための労力は、2倍以上違いますよね?

つまり同じ100円のサービス、製品を提供するにもそれを99%のレベルで出さないといけない日本ではそれだけ労力がかかるのです。

簡単に言うとこんなかんじでしょうか?

海外; 100円 = サービス量100(レベル90) =労力100
日本; 100円 = サービス量100(レベル99) =労力200

あるいは生産性の話を分かりやすくするために労力を基準にすると

海外; 労力100 = サービス量100(レベル90) = 100円
日本; 労力100 = サービス量50(レベル99) = 50円

いくらサービスレベルが違っても100円で売れれば同じ経済価値、50円で売れれば半分の経済価値です。
前にも書いたとおり、生産性は単位時間あたりで生み出される「経済価値」で図られるので、上の計算式では日本の生産性が半分になってしまいますね。

というわけで、労働者としてこれ以上一生懸命働くよりも、みんながもっと客として寛容になれば、日本の生産性は上がるんじゃないかな?